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地味だけど、取り戻すべきは「誇り」だな

拙ブログで、「併合談話、発想を変えてみては?」で、お伝えしたように、今の日本が無くしつつあるもの、今の日本から失われつつあるものは、「誇り」だと、改めて思う次第です。

「誇り」の大切さを見直す一助にということで、動画と日本国民による戦犯の赦免運動について、お届けすることにいたします。
先人たちの創り上げた国、日本


誇り~伝えよう日本のあゆみ


 政治家にも国民にも、「誇り」がしっかり根付いていたならば、今を取り巻く現実は無かったように思いました。かつての日本の国民が普通に持っていた「誇り」を今の日本の国民も持っていれば、菅談話は無かったでしょうし、遡って村山談話なんぞも無かった。謝罪談話を発表するような政権を誕生させてしまうことも無かったのではないでしょうか?日教組教育による愛国心の荒廃も無かったのではないでしょうか?

1952年(昭和27年)頃の日本は、敗戦したとはいえ、まだ連合国から畏怖の念を抱かれ、アジア諸国から尊ばれる崇高な精神を残していたように思います。
以下は、サンフランシスコ平和条約の訳文。第一条と第十一条を紹介し、日本国民がどういう運動をしたかを紹介します。
(リアルタイム世論調査.net さん こちらの書き込みを参考にさせていただきました)

第一条【戦争状態の終了、日本国の主権承認】

(a)日本国と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。

(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。


第十一条【戦争犯罪】

 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
全文は、こちらを参照ください
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/tpj.html

条約発効日は、昭和27(1952)年4月28日午後10時30分、第一条からすれば、条約発効までは日本は、まだ戦争状態にあり、昭和23(1948)年12月23日に絞首刑が執行された極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯とされた7名は戦死者と扱うことが順当だろう。
そして、第十一条の条項に基づいて、日本国民による戦犯の赦免運動がはじまり、昭和27年から30年の間に4回の戦犯赦免の国会決議、そして、4000万人以上の署名が集まった。
(当時の総人口は8400万人、内14歳以上の人口5400万人。4000万署名は14歳以上の国民の74%にあたる)
・1952年(昭和27年) 6月 9日 参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
・1952年(昭和27年)12月 9日 衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
・1953年(昭和28年) 8月 3日 衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
・1955年(昭和30年) 7月19日 衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
 以上、全会一致。この国会議事録は、こちらを参照ください
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/senpannketugi.htm

かつて「誇り」を持っていた日本人は、これほどまでに大きな国民運動を起こすことができたのだから、日本人としての「誇り」を取り戻せば、謝罪談話の無効化もできるように思います。そして、談話の無効化すらほんの一事例に過ぎず、領土問題、国防問題など様々な問題に解決の方向性が見えてくるように思います。
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